ジュビロ磐田と共に歩む人生 | みぎいろ!

ジュビロ磐田と共に歩む人生

こんにちは、らいと(@jubilove9)です。
小3の頃から18年間ジュビロ磐田を応援しています。

今回はジュビロと共に歩んだ私の人生を紹介します。

どのようにしてひとりのジュビロサポーターが誕生し、なぜジュビロの魅力に取りつかれたのか。

少しでも感じていただけたら幸いです。

ジュビロ磐田との出会い

私は1989年、静岡県浜松市に生まれました。

サッカー少年団に入ったのは小学校2年生のとき。サッカーが好きだったわけではなく、トランペットを始めた兄に対抗して、何か習い事をしたいと思ったのがきっかけでした。

小学校3年生の秋に磐田市に引っ越します。ジュビロとの出会いはその年の3月、父親にスタジアムへ連れていってもらったことがきっかけです。

対戦相手はヴェルディ川崎。それまでジュビロのことは何も知りませんでした。

「中山雅史って選手が凄いんだよ」ということだけ教えられていた私は、ドリブルで次々に相手を抜いていく奥大介を見て、「あの人が中山雅史か!」と壮大な勘違いをおこします笑

初めての敗戦、初めての優勝

父がたびたび会社から無料チケットをもらってきたため、その後も観戦を繰り返し、少しづつジュビロに興味を持ち始めました。

ジュビロは黄金期を迎えんとしており、観戦試合は全勝が続きました。

初めて負け試合を観戦したのは鹿島戦。少しづつジュビロのことが詳しくなっていった私は「鹿島アントラーズが強い」という情報をコロコロコミックで入手し、父に頼み込んで鹿島戦に連れていってもらいます。父からすると初めて購入したチケットでもあります。

この試合は0-4で敗戦。負けたこと以上に衝撃的だったのが中山のPKが2度も外れたことです。

当時PKは必ず決まるものだと思っていたこともあり、試合終了間際、中山のPKがジュビロゴール裏2階席に直撃した光景は未だ忘れられません。

この年のチャンピオンシップ、ジュビロは清水エスパルスとの静岡ダービーを制し優勝。第1戦をスタジアムで観戦した私は、この頃にはすっかりファンになっていました。

静かなバックスタンドで、ひとり「ジュビーロいわた!」と声を張り上げます。小学生だからできる芸当ですね。

ちなみに清水戦、中山の決勝PKは怖くて目を閉じていました笑

1人でスタジアムへ


出典:施設ガイド|エコパ公式ウェブサイト

当時は地上波でもJリーグをちょくちょく放送していたため、テレビを見たり、図書館に置いてあるサッカーマガジンやスポーツ新聞を読みながら少しづつ知識を蓄えていきました。

父親とではなく、初めて1人で観戦したのは2001年のチャンピオンシップ、鹿島戦です。小学校6年生のときでした。

この試合はエコパ開催だったため、一人でバスと電車を乗り継いでスタジアムに向かいました。ゴール裏は超満員だったため、ほぼ立ち見状態でした。

試合は2-2のドロー。続く第2戦で鹿島に敗れ、優勝を逃します。テレビで見た小笠原のFKは未だに人生で一番悔しいゴールです。

優勝を逃したものの、1人で観戦したことに友達が興味を持ち、中学1年生からは友達とスタジアムに通うようになりました

この頃から観戦場所をゴール裏に移します。欲しくてたまらなかったコンフィットシャツ(廉価版ユニフォーム)を購入したのもこの頃です。

一方で、父親と観戦する機会は減っていきました。

大学受験を控えた高校2年(2005年)、お年玉で初めてシーズンシートを購入しました

部活で観戦できない試合もありましたが、この年は殆どのホーム戦を観戦します。自宅からヤマハスタジアムまでは1時間の距離を自転車で通いました。

ジュビロは優勝争いから遠ざかり、負け試合を見ることも多くなりましたが、苦しい時期こそ勝利した時の喜びは格別でした。

磐田市から離れて

2008年、大学生になった私は仙台に引っ越します。静岡と仙台は遠く、ジュビロの試合はほとんど見れません。

経験したことがある人も多いと思うのですが、地元を離れると地元への愛がいっそう強くなります

私もいっそうジュビロが好きになり、アルバイト代で買ったジュビログッズをやたらと身につけたり、部屋に飾るようになりました。

帰省時期は試合開催日に合わせ、ゴール裏から1年分の声援を送りました。なお、試合後に私の喉が潰れる確率は100%です。

仙台に引っ越したこの年、ジュビロは残留争いに巻き込まれ、何の縁か当時J2のベガルタ仙台と入替戦で対戦します。

大学構内では「ジュビロに勝って昇格したら格好良くね!」と嬉しそうな声が聞こえてきます。試合のチケットは一瞬で完売。仙台にいながらテレビでジュビロの戦いを見守りました。

ベガルタ仙台は2010年にJ1昇格。ナビスコを含め何度もユアスタを訪れますが、大学6年間では仙台の地で勝利試合を見ることはありませんでした。

(ロスタイム被弾で2度勝利を逃す…)

2004年頃から徐々に下降線をたどったジュビロは2008年頃から守備的な戦いにシフトしていきます。

かつての攻撃的なサッカーの面影はなく、消極的な攻めを繰り返し得点の少ないシーズンが続きます。失望する試合が続き、前田遼一の活躍が数少ない希望でした。

失いつつあったジュビロへの興味を取り戻したのは2010年のナビスコ杯優勝と山田・小林・金園の大卒トリオの活躍でした。

特に縦への推進力をもたらした山田大記の存在は大きく、試合を見る楽しさを再認識させてくれました。

この頃からスカパー!に加入し、ほぼ全試合を観戦するようになります。

就職して東京へ

2013年には就職の最終面接でジュビロ磐田への想いを語り、内定を勝ち取ります。しかし、J1昇格20周年を祝うはずのこの年にジュビロはJ2に降格してしまいます。

新ヤマハスタジアムのこけら落としとなった名古屋戦には仙台から駆けつけたものの敗戦。ユニフォームを着たまま、重い足取りで実家へと帰りました。

2014年、就職を機に東京に引っ越します。経済力もついた私はJ2ツアーを堪能します

アウェイ戦は山形と仙台しか経験がなかった私にとって、各地へ遠征して美味しいものを食べ回る旅は新鮮でした。J2スタジアムの不便さを学び、ヤマハスタジアムの快適さを再認識します。

ホームヤマハスタジアムへの距離も12時間→5時間と大幅に短縮したため、観戦できる試合数が一気に増えました(ケチな私は新幹線をほとんど使いません)。

実家へも帰りやすくなり、約12年ぶりに父と試合を観戦しました

自分で稼いだ給料で父にチケットをプレゼント。ジュビロを応援する楽しさを教えてくれた父親と過ごしたスタジアムでの時間はかけがえのない思い出です。

以降、毎年必ず1試合以上は父親と観戦していますが、未だに1勝もできていません。このへんはもうちょっとジュビロに頑張って欲しいです(^^;)

2016年10月に結婚。少しづつジュビロのことを好きになってくれた奥さんとヤマハスタジアムで前撮りを行いました

結婚式では大型フラッグやユニフォーム型の席札を飾りました。

これから

ジュビロと向き合う私の環境は常に変化しています。

ジュビロのJリーグでのポジションも毎年のように変化します。

ジュビロと過ごした17年。
優勝する嬉しさも、
降格する悔しさも、
大好きな選手が移籍する寂しさも味わいました。

ふがいなさにブーイングしたこともあります。興味が薄れた時期もあります。

それでも、ゴールした瞬間の湧き上がる感情と、見知らぬ人と肩を組んで勝利を祝う喜びはいつの時代も変わりません。

あの極上の瞬間に立ち会うために、これからもスタジアムに足を運びます。いつかまた黄金期が訪れることを信じて。

これからもずっと、ジュビロ磐田と共に。

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