感想|きみの声をとどけたいがめちゃくちゃ泣ける ※ネタバレ

“言葉にはね、タマシイが宿っているんだよ”

みんな見てね〜
本日公開された映画「きみの声をとどけたい」
控えめにいって、めちゃくちゃ素敵な作品です!

フィクションなのに、最後合唱曲を歌っている間「お母さん目を覚まして!」って映画館で必死に祈ってました。

なぜかこの映画はあんまり宣伝されてなくて、公開する映画館も上映回数も少ないけど、とても素敵な作品なのでもっと広まって欲しいです!!

お客さんもあまり入ってなかったけど、上映後にあちこちから「グスングスン」と聞こえてきて、心地良い余韻に包まれました。

夏の終わりにふさわしい、爽やかな青春映画です。 

「きみの声をとどけたい」あらすじ

まずは作品を振り返ります!
飛ばしたい人はこちら

「コトダマって本当にあるんだよ?」

海辺の町、日ノ坂町に暮らす高校2年生のなぎさは、小さい頃に祖母から聞かされた”コトダマ”の話を今も信じていた。

願いを口にすればきっと叶う。悪いことばかり口にしていると、それが現実となって自分に返ってきてしまう。それがコトダマなのだ。

なぎさには3人の幼馴染がいる。ラクロス部仲間のかえで、お菓子作りが得意な雫、そして今は別の高校に通う浜須賀家のお嬢様の夕。

なぎさは言いたいことをハッキリいうかえでのことが大好き。でも、夕の悪口を言うかえでのことは苦手。

「私だって本当のことが言いたいの!」

優しくてついつい気を遣いすぎてしまうなぎさが本音を出せるのは、お寺の鐘の中だけだった。

そんなある日、雨宿りをしていたなぎさは、たまたま使われていない喫茶店アクアマリンに入り込んでしまう。その一角にあったのはミニFMステーションの設備。

「かえでちゃんと夕ちゃんが仲良くなりますように」

遊び心からDJの真似事をしていたなぎさだったが、偶然にもなぎさの”声”は放送され、紫音の元へ届く。

紫音は喫茶アクアマリンを営んでいた朱音の娘。しかし、朱音は事故にあって寝たきりになっていた。

「私、アナタのコトダマ見えたよ。お母さんのところにあと少しで届きそうだった」

なぎさはかえでと雫、紫音と一緒に、お母さんに声を届けるため、ミニFM・ラジオアクアマリンで本格的にラジオ番組を始めることになった。

8月に入り、ラジオ番組に詳しいあやめと、作曲ができる乙葉も加わりさらにパワーアップするラジオアクアマリン。街の人の協力もあり、少しづつリスナーが増えていった。

ところがある日、アクアマリンが取り壊されてしまうことが明らかになる。

夕の助けにより、解体日こそ8月31日まで延ばしてもらったものの、紫音のお母さんが目覚めないまま、退院の日を迎えてしまう。

日ノ坂町から出て行く紫音の目にふと飛び込んできたのは「コトダマ」。夢中でラジオをつけると、なんとラジオアクアマリンの音が聴こえてきた。

蛙口寺で最後のラジオ放送が行われていたのだ。

「みんな朱音さんの声をもう一度聞きたいんだって」

6人が練習した合唱曲がラジオに流れると、コトダマが街中に溢れ出す。

そして紫音も合唱に加わり、ついにお母さんに”声”が届いた。

ミニFMって何?

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ラジオで放送する楽曲の版権の話が出てきたときに気になったのが「放送免許」

電波って免許がないと出しちゃダメだからね。

調べてみると「きみの声をとどけたい」で描かれたのは「ミニFM」

微弱な電波でFM放送の周波数を利用する場合は免許が必要ないんだって。

なるほど〜
ちなみにミニFMが受信できるのは「障害物がない状況で半径100~150メートル」

うん、見てない!何も見てないよ!

いくらトランスミッタ(中継機)を大量に設置しても、そんなに遠くまで電波は届かないけどそんなこと気にしちゃダメだよ!

たくさん中継するとその分品質も悪くなるとか関係ないよ。よし、セーフセーフ。

そうそう、話をすり替えるけど、途中で出てきた「ジングル」はとっても素敵でしたね。

ジングル(Jingle)とは、ラジオ番組などでコマーシャルの開始や終了、楽曲・コーナーの切り替わりなど、番組の節目に挿入される短い音楽などの総称。

出典:Wikipedia

クリスマスにおなじみの「ジングルベル」は「ラジオのジングル」と同じ意味なんだって!

知らなかった〜

「きみの声をとどけたい」感想

ちょっと古めかしい街並みから始まったから時代背景が気になったけど、思いっきり現代の作品ですね!

12年前にお母さんの事故があって、2001年にオンエアのテープがあったので少なくとも2013年以降のお話。

なお、映画のパンフレットに舞台は「湘南の腰越」とはっきり書かれていました。映画に出てくる蛙口寺も実在します!(龍口寺?)

“声”の力を信じたい

この作品の何が良かったって、LINEやinstagramなどSNS全盛のこの時代に「声」の力を再認識させたこと。

それを若い女子高生がラジオで演じるってっチョイスが絶妙です。

いまは誰でも全世界に発信できる時代。だからこそ、ひとつの商店街にしか届かないミニFMって古くさくて、価値がないように感じてしまう。

でもそこにしか届かないからこそ、聴いている人は「自分達に向けて喋ってくれるんだ」ってわかるし、協力したくなるんだよね。

誰に声を届けたいかってすっごく大事。万人に向けたメッセージって、聞こえはいいけど全く響かないんだよね。

劇中ではもちろん「紫音のお母さんへ」
そして「喧嘩した夕へ」「かえでへ」まっすぐに声が届いていました。

その言葉って赤の他人が聴いてもつまらないように感じるかもしれないけど、誰かに向けた強い想いって不思議と人を惹きつけるんだよね。

現代で本当にやったらどこぞのクレーマーさんがおしかけてくるかもしれないけど(劇中もきたけど)、そんなのは気にしないでOK。

伝えたいことをはっきり口にする方が大事。

愛されるラジオ

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「きみの声をとどけたい」がただのラジオごっこで終わらなかったのは紫音のお母さん・朱音さんの存在。

女子高生がいきなりラジオ番組を始めたって、それだけじゃ応援してもらえない。

朱音さんのラジオがこの地域に愛されていたからこそ、そこラジオ局の復活を喜んでもらえたんだよね。

というか朱音さん半端ないーー!!!
ところで、こういうミニラジオ局っていまではどれくらい残ってるんだろう?

そうそう、映画の途中でカセットテープの説明が入ってちょっとびっくりした。いまの子たちはカセットテープを知らないんだね…。

ちょっとショック。そのうちラジオ番組もなくなっちゃうのかな?

最近はあまりラジオを聞かなくなったけど、子供の頃はずっとラジオでプロ野球中継を聴いていたから、もしなくなったら寂しいな。

便利なものがいっぱい増えていて、時代に合わないものはどんどんなくなっていく。

だけど、多分そんな時代もあと10~20年くらいしたら変わっていって、最後に残るのは愛されるものだと思ってます。

月並みな言葉だけど「きみの声をとどけたい」はたくさんの愛に包まれていたと思うし、その愛がコトダマという形になってみんなにも見えた。

なぎさのいう「コトダマ論」は私もその通りだと思っていて、

願いを口にすればきっと叶うし、悪いことばかり口にしていると、それが現実になって自分に返ってきてしまう。

もちろん願いが絶対に叶うわけじゃない。

でも、口にすると願いが叶いやすくなるのは間違いない。 

これって本当に大事なことだと思ってます。

だからいまここで口にします。

「この素敵な作品がたくさんの人の心に届きますように」

言葉にはね、タマシイが宿ってるんだよ。

そうそう、劇中歌とっても素敵でしたね!

合唱っていいね〜

お互い本音で話せば

だいすきだとわかるからもう迷わない

引用:Wishes Come True


 

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