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みぎいろ!

27歳のゆとりーまんがひたすらスキなコトを書き続けます。るってぃブログコンサル受講生。月間最高10万PV。2017ジュビロリーグ戦全試合観戦予定。

「この世界の片隅に」から1ヶ月、広島・呉市を襲った水害とは

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こんにちは、ゆとりーまんのらいと(@jubilove9)です。 

 

先日、「この世界の片隅に」を見てきました。

戦時中を生き抜いた人達の”リアル”日常を描いた名作です。映画の余韻に浸ろうとTwitterを眺めていたところ、こんなブログに出会いました。

 

このブログでは、戦争時少年だった父親のエピソードが語られています。その中で私が気になったのは、「戦争中より戦後の水害の方がつらかった」との一文でした。

 

映画でリアルに描かれた戦争の苦しみを超えるものとは一体何だったのか。気になって調べてみることにしました。

 

 

  

水害の原因と被害

 

太平洋戦争が集結1945年8月15日からわずか1ヶ月後の9月17日。戦争による疲弊、無条件降伏による恐怖。失意の底にあった広島県民を更なる悲劇が襲います。9月11-18日にかけて上陸した枕崎台風の影響で、河川の氾濫と山腹の崩壊が相次ぎ、土石流があっというまに家屋を押し流しました。

 

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死者1775人。行方不明者783人。家屋の全壊2127戸、流出1330戸。被害総額は690億円(1949年換算)に昇りました。

 

特に呉市の水害は大惨事だったといわれています。空襲による被害が1939人。水害の被害が1154人。長引いた戦争に対して、水害が一夜の出来事だったことを考えると、いかに水害の被害がいかに甚大だったことが読み取れます。

 

鉄道の被害も大きく、交通網は完全に破壊されました

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戦争で火攻めにあい、今度は水攻めにあった。正月頃には食料攻めにあって、餓死するだろう。なぜ、天はこうまで吾々を苦しめ抜かねばならぬのだろうか。神は平和な時にのみあるものだろうか。

 

資料に残されていた悲痛な叫びです。

 

呉市の被害が甚大になった理由 

 

枕崎台風により被害がここまで大きくなった理由が資料に記されています。

 

<地形的要因>

・呉市を囲む山々が不安定な形状だったこと

・長時間の豪雨により土砂崩れが発生しやすい状況だったこと

・川が急勾配で、川幅も狭かったこと

・軍都という特殊事情から山へ山へと発達したこと

 

<その他の要因>

・戦争終結後、心が不安定で弛緩していたときであったこと

・気象予報がなく、市民のほとんどが大災害を予知できなかったこと

・水害発生が寝床に入る22-24時だったこと

 

気象予報がなかったのは、原爆により多くの関係者の命が失われたためと予想できます。

 

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呉市・水害の体験記

 

体験記を読むと、当時の悲痛な様子が浮かび上がってきます。

その一部を抜粋しました。

 

父が戸を開けたその瞬間。想像に絶した響が「ごう」と聞こえた。

もう水は台所にいた私のボーズまで来ていました。「助けてくれ 助けてくれ」逆上したような弟の叫び声で、私が屋根やら柱やら壊れた家の下敷きになり、胸のあたりまで水がきているのに気づきました。身動きできない私の体。水。死を感じました。

 

近所の家の姿は全く見当たらず闇夜に降り続く雨の中を提灯が飛びかひ、あちらこちらの焚火。石垣や高い土地もどんどんくづれて流れておりました。私の家は幸いに押されて移動し、くづれたのですが、流されはしませんでした。よくこんな所まで押し流されて助かった事と思うのも夢のようです。

 

助けを叫ぶ私の声を耳にして救ってくださった人の家に連れられ、生き得た安堵感にぐったりした私の耳に、物すごい流れの音は余りにも冷酷な音でありました。

 

最後に

 

 「災害は忘れた頃にやってくる」

 

よく耳にする言葉ですが、1951年の資料に一言一句違わぬ言葉が記されていたことは驚きでした。過去のひとつひとつの積み重ねによって今の日本があるのだと改めて実感します。

 

(参考文献)

今回のブログは「呉市の災害について」という資料からポイントをまとめたものです。少しでも興味を持った人はぜひ読んでみてください。

 

「呉市の災害について」

http://www.sabo.pref.hiroshima.lg.jp/portal/sonota/sabo/pdf/215_S20_kure.pdf 

http://www.sabo.pref.hiroshima.lg.jp/portal/sonota/sabo/pdf/215_S20_kure.pdf

 

水害から資料の作成まで6年かかっています。

 

戦後の混乱、市役所の消失、それでも"2度とこのようなことが繰り返されないように" 、広島県土木部の方の想いが伝わってきます。

 

 

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